みんなのまなび
さて今日も
フィナンシェのSWCで投稿した内容だよ。
ブログスタイルが変わった背景については
→コレを見てね
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最近レターポットの話題をよく聞くようになりましたね。
これは西野さんが7年位前に開発したサービスで
お金を言葉(レター)と換金し誰かに送ることができるというものです。
具体的には1文字5円で購入でき
例えば
“いつもありがとう”と奥さんにレターを送る場合
40円分の文字を購入する必要がある訳です。
そしてレターを受け取った奥さんは
そのレターを誰かに贈ることもできるし
追加でレターを購入してより長い手紙を誰かに贈ることもできる。
ここで面白いのがこのレターが換金できないこと。
これについては
開発メンバーからすら批判の声が上がったと言われています。
意味がないじゃないか、と。
#僕もそう思ってた
結果換金できないサービスとしてスタートした
レターポットは多くの人には理解はされず
一部のコアファンの間だけでのサービスであったのは事実だと思います。
そんなレターポットが急に注目されているわけですが
それはフィナンシェが注目されていることと
無関係ではないはずです。
フィナンシェでも贈り物文化は
もともと形成されていたわけですからね。
価格が変動すること、換金できないことを除けば
一緒の役割を果たすわけだから。
ただもちろん
レター=トークンという感覚が成り立つのは
“トークンを贈り物”として捉えている人たちだけという前提はあります。
でもってここからは好みの話になってきますが
”換金できることの是非”についてですね。
以前の投稿でも話しましたが
トークンの価格が大幅に上がったときに
もともと売るつもりがなくても
“換金したい”という欲が発生するんですね。
そうなると誰かに贈ることにもためらいが出てくる。
本来贈り物のために保有してたものなのにね。
ただそれこそが価格があることの良い所だと思っていて
レターポットのように換金性がないと
#ごく一部の使い方で換金できるようになったよ
人の善性だけで回るサービスとなってしまうんですね。
#それはそれでとても素晴らしいこと
しかしトークンの場合
価格の変動があることで
自分の善性だったり
悪性だったり
意思の強さだったり
弱さだったり
そんなものと常に戦う必要が出てくる。
この辺はどっちが良いとかではなく
好みの問題だと思うんですが
少なくとも僕は価格の変動から生まれる様々な誘惑と戦いつつ
贈り物文化に参加してる方が好きなんです。
とはいえここまで話しておいて
実はまだレターポットを触ってないので
まずは始めてみたいと思います笑
善性のみの世界にハマるかもしれないですし。
なんでこの後
レター配りおじさんがいないか
Xを徘徊しようかな笑
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